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■多くの田畑を潤してきた人工池「入鹿池」。この入鹿の地には江戸時代に入鹿池が築造される以前から人々の営みがありました。
ニワ里ねっとでは、昨年度から続けてきた入鹿池に関する調査成果をもとに、謎に包まれた入鹿池の歴史に迫る様々な事業を行います。

プロジェクトの概要(随時更新)

1.青塚古墳史跡公園ガイダンス施設企画展「入鹿の里を求めて」平成25年10月8日〜12月8日まで
 入鹿池の最新の調査成果を報告。入場無料。

2.入鹿池シンポジウム(仮)平成25年11月9日(土)
 入鹿の屯倉に関するシンポジウム。会場:犬山国際観光センターフロイデ。

プロジェクトの目的

■入鹿池とは
 犬山市の南域に位置する「入鹿池」は、江戸時代に尾張藩の新田開発政策の一環として造られました。貯水量は約1万5千k㎥、日本第2位の大きさを誇る巨大な溜池です。池の南西には尾張三山や博物館明治村が位置しており、当地周辺域は犬山市域の歴史・自然遺産の南の中心地といえる場所です。

■入鹿池成立以前 ー 入鹿の地に置かれた屯倉を探してー
 入鹿池建築前の「入鹿の地」は、周囲を山々に囲まれ、成沢川・小木川・奥入鹿川といった小さな河川が流れ込む盆地状の低地で、そこに「入鹿村」という戸数24戸(一説には16戸)の小さな村がありました。村周辺に住む人々は、自然に形成された低湿地を利用して水田を築き、生活していたと思われます。
 入鹿村が成立する以前のこの地の歴史については、はっきりとしたことはわかっていません。しかし、入鹿池周辺には多くの古墳があると考えられていること、日本書紀の記述から、古代には機内政権の直轄地である「屯倉(みやけ)」が入鹿池周辺に置かれたと考えられていることから、入鹿池成立以前の当地は、尾北地方における経済的・政治的な拠点の一つであったと考えられています。 周囲を山々に囲まれ、南西側に開口部がある盆地の入鹿の地は、防衛的にも絶好の場所であったでしょう。つまり入鹿池は、尾張北部における原始から古代の地域の郷土史を考える上で、非常に重要な場所であるといえます。しかし、入鹿池に関する詳細な調査や研究が行われた例は少なく、古墳時代の入鹿池周辺の詳細な様相や、「屯倉」の位置などは明らかになっていないため、詳細な調査を一刻もはやく行う必要があります。

■入鹿切れ ー死者941名の災害が語ることー
 加えて、入鹿池は郷土の開発史・自然災害史を考える上でも重要な場所です。入鹿池が築かれる前の丹羽郡や春日井郡の台地上は、水田耕作に必要不可欠となる水源が少なく、荒地が広がる不毛地帯であったと考えられています。この不毛の台地を開発し、尾張藩の人々の生活を豊かにすることを目的に、入鹿池の建設は開始されました。入鹿池が築かれたのは、寛永9(1632)年から寛永10(1632)年にかけてのことです。
 入鹿池は、入鹿村南部の開口部に長さ約百間(約180m)の「百間堤」を築いて川をせき止めるという難工事のすえに完成しました。入鹿池を造るにあたっては、入鹿村に住んでいた人々は、入鹿池北西部の前原や神尾、奥入鹿の地へ移住したとされており、前原の地には入鹿村から移した寺社が現在も残っています。
 入鹿池築造後、周辺地では水田の開発が進み、尾張藩は6883石(約103t)の増収となりました。しかし、入鹿池は完成して約200年後の1868(明治元年)、大雨による水位上昇によって決壊します(入鹿切れ)。溢れ出た水は周辺地域に流れ込み、流出家屋807戸・死者数941名の大災害となりました。
 「入鹿切れ」という犬山市上未曾有の大災害が私たちに知らしめたのは、人間が自然を完全にコントロールできるというのは幻想であるという、現代社会において私たちが忘れがちな事実です。木曽川や入鹿池など、本来の自然地形を人工的に改変して作り出した土地に住む私たちは、「入鹿切れ」の悲劇を繰り返さないためにも、そのことを忘れてはいけません。もちろん、昔の人はそのことを十分に認識しており、「やろか水」などの昔話を通して、 自然災害の恐ろしさを語り次いできました。しかし、現在それら先人の知恵は失われつつあります。これは地域の暮らしを守って行く上で危機的な状況であるといえるでしょう。

■入鹿池プロジェクトの使命
 そこで当NPOでは、 入鹿池を通して地域の皆さんに地域の歴史・災害史を学んで頂くことを目的に、「平成25年度 入鹿池プロジェクト」を実行します。このプロジェクトでは、当NPOが入鹿池を題材に数年来行っている調査・研究事業を本年度も継続して行い、入鹿池を取り巻く地域の郷土史の再評価を行います。さらに、その成果をシンポジウムや企画展を通して地域の皆様に広く知って頂くことを目指します。本プロジェクトを通じて、地域の皆様に尾北地域の歴史的重要性を認識して頂き、さらに自然と共に生きて行くとはどういうことなのか、わたしたちの暮らす街を守る為に、地域に残された文化遺産から何を学べばよいのかを、一緒に考えていって頂ければと思います。