こんにちは大塚です。
いよいよ今年も終わりに近づいてきましたね!そろそろお坊さんたちがお忙しくなる頃でしょうか。
先日,瑞泉寺さんに行ったら本当に雲水さんたちが小走りで忙しそうでした。
さて,本日は歴史座 犬山災害伝承シンポジウムが開催されましたよー!犬山市民の方を中心に,多くの方にお越しいただきました。
メインテーマは「入鹿池」。入鹿池を取り巻く文化遺産群を改めて考えるシンポジウムになりました。
まずは,わたくし大塚が前座で入鹿切れについてをお話しさせていただきました。話がうまくまとまっていなくて,お聞き苦しくてすみませんでした。お話の途中で,中野包祐さんに「天にのぼった二匹の馬」の語りを入れていただいたのが救いでした。素晴らしい語りでした。
で,第二部は赤塚理事長をコーディネーターとして,その他4人のパネリスト方々にご登壇いただき,それぞれのお立場から「入鹿池」について語っていただきました。
特に地質学者の森勇一先生のお話で,ため池は過去の歴史を伝える地層が堆積しているという話は面白かったですねー(入鹿池は池底工事もしているので期待できないかもですが・・・)是非,入鹿池でも池底のボーリング調査をして,どんな歴史が紐解かれるのか見てみたいですね!
そして,シンポジウムの最後は入鹿の屯倉の話に・・・
入鹿屯倉の場所については,議論の分かれるところですが,入鹿池の場所に本当に屯倉があったのだとしたら,
赤塚理事長がシンポジウム内におっしゃっていたように,
今は奥まった裏口のような印象の入鹿の地ですが,かつては全く逆で,入り口のような場所だったのかもしれませんね。
講演会場別室では,中野耕司さんによる入鹿池文化遺産写真展も同時開催。
たくさんの方にご観覧頂きました。私の一番のお気に入りの写真は朝靄の入鹿池。1枚ベールに包まれたような,色合いがとっても素敵です。
なお,写真展は12月から羽黒の「小弓の庄」で巡回展示します。是非ご覧くださいませ。
入鹿切れのときに、美濃路にかかる新川橋が落ちたという記録があります。
ただし、新川橋は新川に架かる橋で、五条川は橋の1.3キロ下流で新川に合流するので、
入鹿切れの直接の影響なのか、若干の疑問があります。
大雨は入鹿池の周辺ばかりでなく、この地方全般に降ったようなので、その影響もあったのでしょう。
新川町史には、入鹿切れのこととして新川橋流失のほかに
春日下之郷の五条川の堰に多数の死体が漂着したこと、
五条川の堤防に供養として楝(オウチ、別名センダン)の木を植えたこと、
尾張藩の清洲陣屋から流出人の扱いの触れが出されたこと
が記されています。
春日下之郷は清洲城跡の1.5キロほど上流です。
現在も五条川堤防にはセンダン(香木の栴檀ではない)が植わっています。
直接入鹿切れが要因でないとしても、同じ長雨でいろいろなところで被害がでていたのでしょうね。
教えていただきありがとうございました。