こんにちは大塚です。
本日はニワ里カレッジ,「現在に伝わる入鹿切れの痕跡を巡る」が開催されました!
梅雨入り前の晴天,暑いすぎるくらいの良い天気でしたねー。
講師に大口町歴史民俗資料館の西松賢一郎さんをお招きして,入鹿池から溢れ出た濁流の走ったルート,つまり入鹿切れ最大の被災地である羽黒村,河北村,小口村を,被災の痕跡を見つけながら歩きました。
現地に残るのは,供養碑や石仏、流れ着いた巨石など。お寺などの片隅にひっそりと建てられています。説明してもらわないと気づかないかもしれません。
また,今回の散策では,そうした碑をみるだけでなく,現地で災害の大きさを体感する場面も。
被災地を襲った水の高さは1丈=約3mですが,3mの高さを測量用スタッフで確認すると,,
うわぁーこんなに高いのか,,,と驚きの声があがりました。
五条川沿いを歩くコースは気持ちよくてよかったですねー。西松さん曰く,今日の五条川・木津用水は水量が多くて”いい!”そうです。田植え間近だからですね。新緑もきれいでした。
最後に,旧河道(かつては水が流れていた土地)の見学へ。周りよりも低くて,かつて水が流れていた雰囲気を味わえます。実は,この旧河道にも入鹿切れの際に水が流れてきたのではと考えられているそうです。
3時間みっちりあるいて,無事柏森駅でゴールです。
ただただ歩いているだけでは疲れ果ててしまう,3時間のこの散策コースですが,西松さんの巧みな話術で,とっても充実した散策となりました。
次回のニワ里カレッジでは,自然科学の視点から入鹿切れを語ってもらいます。予定は8月。
いろいろな視点から「入鹿切れ」をみていけれればと思います。
口伝を疑てしまう私は、3メートルや1.8メートルといった浸水高が本当かと思ったので、
帰宅して物理的に調べてみました
入鹿池の面積は1.5平方キロメートル
堰堤の高さが27メートル
水をたたえる入れ物は
表面と底の面積が一致の筒形と、半球、の中間容積を持つ形と仮定すると、
あふれかえるぐらいの満水時は
1.5×27×0.75≒30(単位は平方キロとメートルの積の体積)
となり、
これが3メートルの高さに浸水できる面積は
30÷3=10平方キロメートル
となる。
これは五条川の長さ5キロにわたって、幅2キロの流域の面積とほぼ等しい
犬山の長者町の富士橋から5キロは大口町の小口城跡あたりである。
ということで、やっと伝承を納得した次第です。
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ちなみにブログの2番目の写真はどこだったのか、思い出せません
あかんねえ
同行した撮影クルーに災害心得に対する意見を聞かれ
自分の興味はそこにはなかった
・・・・
私も,3mの水位とか水足りるんかな,とは疑問に思ってましたが,
答え出していただいて納得です。
ちなみに,2番目の写真は興禅寺の門前です。