こんにちは、大塚です。
先日の4日(月)に、にわ里サイクリングで、小牧長久手の合戦の場を自転車で駆けてきました!
気持ちの良いお天気の中、一日サイクリングと史跡巡りを楽しんできました。
イベントの企画は、にわ里会員の古川さんです。
当日の報告をお送りいただきましたので、以下掲載させていただきます!
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さて、11月4日はニワ里サイクリングを催しました。
今回は長久手の古戦場公園を発着して、小牧長久手の戦いの跡をめぐる企画。
これまでの最多の総勢10名。無料のレンタサイクルを借りて出発しました。
まずは、秀吉方の2万人もの長い軍勢の先端が戦った岩崎城へ南下。
お城に行く前に、岩崎城近くの石室が復元されている白山第1号墳に立ち寄った。
15メートル弱の円墳の近くの木の根元にはかさばったキノコがでんと生えていた。
岩崎城は日進市にあり、秀吉隊の先鋒池田隊が早朝この城を攻め落とした。
同じころ秀吉隊のしんがりの三好隊(のちの豊臣秀次)は尾張旭市の白山林(はくさんばやし)で朝ご飯を食べていたところを徳川隊に襲撃され、総崩れ。
岩崎城と白山林の距離は直線で6キロである。
しかし2万人もの隊列は、横並び5人の行進で、前後の間隔を1.5メートルとして6キロの長さになる。
武器を持っての行進、とても秘密裏にできることではない。
サイクリング当日は好天で、とてもさわやか。
岩崎城から近くの菊水の滝(尾張名所図会にも載る、街なかにある滝)を見学して、アヒルが庭にいるガーデンカフェで昼食をとった。
昼食後は秀吉隊敗戦の契機となった白山林へ向かう。
岩崎城から小川を遡って出発地の古戦場公園を経由して香流川沿いに進み、1段段丘を登ったところに白山林がある。
本地原小学校の東隣りの神社に戦いの由来が掲げられている。
白山林の戦いのあと、連絡を受け岩崎から戻った池田隊の大将ら(池田恒興、元助、森長可)が古戦場公園のあたりまで戻って徳川本隊と戦い、あえなく戦死したのだった。
岩崎城の勝利と同じ日の午後にはもう敗死したのである。
白山林に向かう途中にも秀吉の妻おねの父親の兄弟である木下氏の塚が残っていた。
白山林から戻って段丘を下り、昔ながらの田舎道を進むと田んぼの先に段丘崖が森になっているのどかな風景を進んで、石作神社の横を通り、首塚をちょっと見て、古戦場公園に戻ってきた。
快晴でも午後、日陰を走ると薄寒く感じた。湿度が低く北風が吹きだしたのだ。