こんにちは、大塚です。

明日からは、雨の日が続き、梅雨も最盛期を迎えるようです。

150年前のいま頃も、同じように梅雨真っ盛りだったのでしょう。

今から約150年前の明治元年、梅雨の大雨の影響で、入鹿池の堤防が決壊し、犬山・大口など周辺の村々を濁流が襲いました。その犠牲者は約1000名を数えたともされます。

旧暦で5月13日(14日とも)が入鹿切れの発生日。

発生日から1週間ほど遅れてしまいましたが、本日、ニワ里ねっとのメンバーで、入鹿切れの犠牲者の慰霊参りに、入鹿池へ行ってきました。

供養塔の前で、手を合わせることくらいしかできませんが、多くの犠牲を風化させないためにも、年に1度は、足を運び犠牲者を悼むことを続けれれば、と思います。

こうして発信することで、一人でも多くの人が、入鹿切れの犠牲に思いを寄せ、身の回りの防災を見直すきっかけになれば幸いです。

波穏やかな入鹿池

 

供養塔にて