3.11からもう9年。 9年前もこんな天気の良い日だったように記憶しています。
東日本大震災で犠牲になられた多くの方々に祈りを申し上げるとともに、災害の記憶が風化せぬよう、私たちができることを行っていきたいと思います。
毎年ニワ里ねっとで行っている3.11防災講演会は、残念ながら感染症の影響で延期となってしまいましたが、また日を改めて実施できたらと考えております。
過去の文化遺産を、未来の防災へ活かすことの一助になれたらと思います。
阪神・淡路大震災(1995年1月17日早朝)、そして東日本大震災(2011年3月11日昼下がり)と、忘れられない大自然の恐怖を思い知らされた出来事でした。 テレビ報道のお陰で、遠く離れていてもその時々の状況が 手に取るように見ることができました。 発生の直後、そして半日後、1日後、3日後、1週間後と、刻々と伝えられる 現地の様子が、被害が膨れ上がっていく状況が、フィクション以上の展開で 衝撃でした。 年月を経てもなお 収束の道筋が見えない「事故・原発」。最後までコントロールできない代物を、人間の英知が生み出した「優れもの」として持てはやす 危うさ。偉そうにしている人間の 作ったものの「もろさ」 人間の命の「か弱さ」が、自然災害のたびに思い知らされます。 これらの出来事・記憶を、後に伝えていくのも 今を生きる私たちの責任ではないでしょうか‼
人が作ったものがいかに脆いか、ということを強く痛感しますね。
この記憶が後世に活かされるように、切に願うばかりです。
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阪神・淡路大震災(1995年1月17日早朝)、そして東日本大震災(2011年3月11日昼下がり)と、忘れられない大自然の恐怖を思い知らされた出来事でした。
テレビ報道のお陰で、遠く離れていてもその時々の状況が 手に取るように見ることができました。
発生の直後、そして半日後、1日後、3日後、1週間後と、刻々と伝えられる 現地の様子が、被害が膨れ上がっていく状況が、フィクション以上の展開で 衝撃でした。
年月を経てもなお 収束の道筋が見えない「事故・原発」。最後までコントロールできない代物を、人間の英知が生み出した「優れもの」として持てはやす 危うさ。偉そうにしている人間の 作ったものの「もろさ」 人間の命の「か弱さ」が、自然災害のたびに思い知らされます。
これらの出来事・記憶を、後に伝えていくのも 今を生きる私たちの責任ではないでしょうか‼
人が作ったものがいかに脆いか、ということを強く痛感しますね。
この記憶が後世に活かされるように、切に願うばかりです。