こんにちは、大塚です。

 

先日からの大雨。木曽川上流で合流する飛騨川では氾濫が発生し、大きな被害が出てしまいました。

改めて、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 

栗栖にお住まいの方々が発信している木曽川の様子を動画で拝見しましたが、木曽川もかなり増水をしていたようで茶褐色の濁流が勢いよく流れていく様に驚きました。

 

今回の被害は飛騨川が中心で、木曽川中流域での大きな被害はありませんでしたが、尾張平野は古くから何度も木曽川や小河川による氾濫・洪水の被害を被ってきた地域。

尾張の洪水被害を防ぐため、慶長13年(1608)に木曽川に「お囲い堤」が築造されて以降は、その被害も減少しますが、完全になくなったわけではなく、それ以降も幾たびもの洪水被害を被っています。

 

慶長年間(1596〜)から明治初年までの約270年間に尾張平野を襲った洪水被害を数えると、記録に残っているだけでも、その数なんと約45件。(1970『愛知県災害誌』名古屋地方気象台監修、1994『入鹿池史』入鹿池史編纂委員会編 を参照、尾張・洪水という項目を抽出)

 

本当に、水災と常に隣り合わせの地域であることがよく分かります。

そういう地域であることを忘れてはならない、と改めて感じます。

 

洪水の歴史を伝える伝承もいくつか残っていますが、そのうちの一つ「やろか水」をご紹介。
『犬山たび 物語の巻』より、テキスト引用)

 

まだ梅雨前線の影響は続く見込みのようです。皆様くれぐれもお気をつけくださいませ。

 

『やろか水』

鵜飼町で門番をしている善助は、降り続く雨で木曽川の水かさが増えたせいで眠れない日をおくっていま した。ある晩、空が晴れたので、不思議に思い川を見ると、突然上流の方から「やろか!やろか」というぞっとするような声が聴こえてきたので、善助は「よこさばよこせ」と言ったそうです。すると、みるみるうちに水がうずを巻いて押し寄せ、善助も町も水の底に沈んでしまいました。これが歴史に残る貞享4(1687)年の「貞享の大洪水」といわれています。