4/21(土)にニワ里サイクリングをおこないました。大塚さんに代わって案内人の古川が報告します。
朝10時に名鉄新清洲駅前に総勢6名で集合。駅前でレンタサイクルを借りて出発。とてもいい天気ですがすがしい。今回は旧甚目寺町界隈を中心に、鎌倉街道や農家が並ぶいなか道など車の少ない道を走り抜けた。走行距離は20キロ。濃尾平野の低地で起伏がなく走りやすい。甚目寺観音境内で昼食をとり、午後3時に解散した。好天過ぎて暑くなり、日焼けもしたし水分補給が欠かせなかった。
予定した見どころが十か所以上あり、また私が無視していたところで皆が興味を持ったりしたこともあって、全行程を書けないので、盛り上がったところをピックアップして報告します。
鎌倉街道に入ってすぐの土田(つちだ)神明社にある紀元2600年記念と銘じてあるコンクリート製の軍馬像にまず興味が集まった。とてもリアルな牡馬で、議論の末、浅野祥雲氏の作ではないとの結論に至った。
五条川沿いの萱津神社にある香の物殿は、茅葺屋根に漬物の瓶が逆さに乗っかっている面白いつくりである。宮司の話では江戸時代の絵には瓶は乗ってなく、いつからああなったかわからないということであった。
鎌倉街道の南端にある三社宮の砲弾モニュメント。それ以上に興味がわいたのは社殿の下のマウンド。それは古墳ではないかと参加者が次々と指摘し、登ってみたりして確かめようとした。
清洲飛行場の痕跡として残ったコンクリート製の指令室跡に、勇敢な人が登ったのでつられて私も登ったら、なんと天井が落ち込んでいた。ここは残そうという意図が感じられない遺跡なので、いずれは消えてしまうかもしれない。
二ツ寺神明社古墳は未調査の全長80メートルの前方後円墳である。後円部に建てられた神社社殿の下にある石が丸く穴をうがってあり、それは何かということで、「杯状穴」という言葉が皆の心に刻まれた。でもこの石の穴がそうかという確証はない。
あま市森地区には馬頭観音が点在し、その一つを見ていたら地元の人がやってきて、これは「びろう観音」だと言った。観音像の光背に「鼻癭」と書かれていて、そのときは地元の人の説明に納得した。しかし今調べると「癭」は「えい」と読み、首筋にできるこぶの意味だ。これは鼻やこぶの病気の治癒を願ったもので、仏像としては頭部の馬が欠けているほかは三面・八臂の特徴そのままだからやはり馬頭観音であると思う。
最後に廻間遺跡に行った。服部副理事長が30年以上も前に発掘して前方後方型墳丘墓を発見したところである。今は名2環自動車道の下に遺跡の説明看板が立っているだけ。もっとも名2環自動車道沿線にはほかにも遺跡があるのだが看板すら残っていない。だから看板があるだけでもましなのかもしれない。